Nepal / thoughts / travel

人の優しさや旅の孤独について思う

自分がすごく、悪い意味でとても日本人的(もしくは東京の満員電車的)あなぁと思うのは、人に対して冷たいというか、何か通常ではない事態が起きているのを目にしたら「なんか変なことが起きてる」「かかわらんとこ」って思って、知らんぷりというか、立ち入らない様にしようとするところ。

もともと社交的な方でもないし、多分だけど、良い人間関係を長く続かせる努力をするよりも一人でゆったりしている時間に自分のエネルギーを注ぎたい、と無意識に思っている節もあるせいもあったりして。

だから優しくしてくれる人たち、助けてくれる人たちというのが本当に嬉しいし感激するし、自分には思いつかない発想だったりするからとても尊敬する。

 

何かというと、私の泊まっているホテルには北欧ボーイズが数人いるのだが、そのうちの一人のオジサンのことでのラッセや他の北欧ボーイズの優しさに、私はいい意味で(もしくは私の心境に焦点を当てれば悪い意味で)とても感銘を受けたのです。

おじさんは英語が得意じゃないみたいで、私や他のお客さんとはあまり話さなくて、ラッセたちがいたら母国語のスェーデン語で話をする、みたいな感じで。
そんな訳で私はあまりおじさんのことを知らなくて、今日は私とラッセはお昼はご飯を食べに出かけていたから知らなかったのだけど、今日おじさんはホテルで””とても変な行為”を、そして路上で、もし警察がいたらつかまり即連行されかねない行為をしていたそうで。

で、それについてラッセたちはその事情を知っていて、
だからこそ
「どうしたら彼を助けてあげられるかな」、
「彼を僕らの仲間に入れてあげたらどうだろう?」
「孤独感が減れば、彼の症状もおさまるんじゃないか」
って、
彼の力になってあげよう、
彼を楽しませてあげようって
真剣に話し合っていたのね。
・・・もー、びっくりした!
正直私はその午後の話を聞いただけで
「やばいじゃん。そっとしといてあげようよ」
「彼には彼の事情があるし、そうせざるをえなかったんじゃない」
って思ったのだけど、
それはひいては
「なんか面倒なことになりそうだ、かかわらない方がいい」
って奥深くで思ったからなのね。
事情を聴いてさえも、
ラッセたちが親身になるほどには
同情というか、何かしてあげようとは思いは湧かなくて。
そうだったのか~、ほぅ~ん、みたいな。

だがしかし、彼らは
彼をわざわざ探して見つけに行って、
彼を私たちのティータイムに
誘ってあげよう、
その際はこのトピックは避けてこんな感じで
迎えてあげよう、みたいに滅茶苦茶親身で。

・・・私の中にはそこまで誰かに親切にするというか
そこまで誰かに立ち入ること・
その事情を超えてまで立ち入ることが
実際にも考えにも無かったからもう本当に衝撃で!

ここまで人の気持ちになって優しくする人たちがいるんだ!って思ったら、びっくりしちゃった!
私の辞書にはない概念・存在しなかった優しさを目の当たりにしたというか。
みんな、こんなに他人に優しいものなの?
みんなのその優しさを見ていたら、自分がとても冷たいというか
人に興味が無い人間なのだなぁとしみじみ思ったというか
ラッセたちのその様子を、スクリーン上に見ているかの様に思える位だった。
・・・それと同時に
旅に暮らすということの、ダウンサイドの可能性も目の当たりにした気分になった。
どこかに定住するということは、何かのコミュニティなり人間関係に所属することになり、移住を続ける暮らしに比べると人間関係の動きは少ないと思うのね。
私は多分、微妙な人間関係の軋轢とか駆け引き?みたいなものが非常に苦手というか全く分からないというか「要らんな」と思っている部分があるにもあって、それが理由ではないけれど、数か月ごとに住む場所を変えるスタイルがいいなと思っていたのね。
でも今日の一件を聞いたら、移住し続ける・旅に暮らすということは常に新しい人に出会い続けることであり、新しい人に出会い続けることというのは、その出会う目の前にいる人は「今」「その瞬間」の私しか知らないし、それによってのみ私を定義するのだということ。
私は今ラッセとともにいて、ここに来るまでの色んな”歴史”を共有し合い、ここに来てからの一切の不機嫌や喜怒哀楽も共有し合っていて、つまりこれまでのいろいろも含めた今の自分を知っている人とともにいるけれど、、、。
一人で旅暮らしをすること、そしてそうして歳を重ねていくこと。
「孤独感」は、人を変えてしまうのかもしれない。
「自分の居場所・心のよりどころ」、それを
誰かや何かに求めなくても、自分が存在していれば大丈夫、というのは素敵だけど、
人間だもの、やはり誰かに愛され愛し合いたいよね。

「長く一人で旅をしていたり、話す相手がいなくなると、エゴのいきどころが無くなって、独り言や”空や大気と”話をするようになったたりすることがある、彼はそんな感じじゃないかな」とラッセどん。
大半のひとと違う生き方をするというのは
魅力的な面・輝かしく見える面もあれば
その裏側もあるんだな。
ここ・カトマンズの梁山泊に集う人たち、
賭け事したり遊びにいったり
買い物に興じたり、
一般的にいう仕事をしなくてもいい・
遊ぶことが主な仕事な人たちばかりだから私は勝手に、
みんな経済的にも人間関係的にも
豊かで恵まれた人たちなんだなぁと
思っていたけれど、

(ちなみにその使いっぷりや遊びっぷりも
私にはダイナミックで、文化の違いや若さを感じています)
(ついていけないハルカたんは深窓の令嬢出身)
みんなそれぞれに訳があって
だからこそ
そんな訳アリな人に対して
私からしたら信じられないほどの優しさを
分け与えてあげることが出来るのかもしれない。

自分が孤独になりたくないから、
旅暮らしではもっと人とかかわって社交的になって友達を作って、その交友をキープしよう、とかとは思わないけれど、
というかそんな風に損得勘定で人付き合いはしたくないけれど、
ただ、旅に暮らすということはともすればものすごい孤独と隣り合わせなのだなということを今日知った気がします。
・・・まぁ、旅暮らしでなくとも孤独感はあるだろうし、どこかに属し続けることで出てくる悩みの元のようなものもまた別にあるのでしょうけれど。

・・・や、でも孤独感というのも
幻想というか思い込みであるのかもしれないけれど。
一口には言えないけれど。
カトマンズのストリートで
ラッセの目からするとドイツ系のおそらく60代後半くらいの
白人男性が路上で小間物売りをしているのね。
はじめは見間違いかと思ったのだけどやっぱりそうで。
これを書くのは「じゃあそうではない国に生まれたらどうなの?」という自分の中の答えにまだ答えられないから書くのをためらわれたのだけど。
一体彼に何があったのだろう、って。

だって、ネパールに旅をすることができる国に生まれた人であれば
もし何か大変な緊急事態が起きたとしても、もし頼る親族や友達がいなくても、その国が彼を何とかしてくれるはずじゃない?国に帰るチケットを用意してくれるとかさ。

そして一度その国に帰れば何度でも再起できるし、そうでなくても彼の国の人たちのつてを頼ったりしてなんでも出来たはず。
彼が文字通り路上に暮らす様になったのは、彼が選んだ・彼がそうしたかったからなのかもしれないけれど、そこには誰にも頼れないとか、孤独感とか、彼の目から見た彼の世界が横たわっていたのではないかなって。

う~~~ん、何が書きたいのかよくわからないな。
自分が今日のこの出来事や目にすることに対して感じていることも同じく。
ただ思うのは、
ネパールは神様だけじゃなくて
人々や、目に映る出来事も
何だかダイナミックで揺れ幅がすんごいデカいということ!!
・・なんかこんな感じの揺れ幅の多い遭遇をする国・旅って
これまでなかった気がする。
この旅≒ライフスタイルのせいかなのか、ネパールそのものなのか、はてさて。。。

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